三島由紀夫に、『蘭陵王』というちょっと不思議な味わいのする小説があること、みなさんはご存知でしょうか?
三島由紀夫が書いた最後の短編小説で、ほんの数ページの、小説というよりは、エッセイと呼んだ方がいいような小品です。
昼間、富士の裾野で「盾の会」のメンバーと一緒に訓練をしたあと、宿舎に帰って食事と入浴をする。
夜、消灯までの間、作者の部屋に数人が集まり、一人の青年が奏する「横笛」を聴く。
その一連の流れの合間に、作者は様々な思いを巡らせ、最後は昼間目にした「蛇」のことを思い出す。
内容としてはただそれだけの小説ですが、私はちょっと言葉では言い表せないような、一種独特の印象を受けました。
小説が進むにつれ作者の「思考」は、たしかに青年の奏する「蘭陵王」のように盛んに変化する。
しかしその一方で、作者の「心」のほうは常に一定の冷静さが保たれていて、そこにはどこかピンと張りつめた空気が通奏低音のように流れている。
その「空気」が、私には不思議な「透明感」を持って伝わってくる。
この小説を読んでいて、私はかつて観たゴッホの絵にも、同じような「透明感」が漂っていたことを思い出していました。
それは、ゴッホが自殺する二ヶ月ほど前に描かれた絵で、ゴッホと言えば誰もが連想するあの厚塗りのタッチとは全然違う、淡い水彩画を思わせるようなタッチで描かれた絵でした。
私はその絵の前に立った時、苦悩の多い人生を送ったゴッホが最後に辿りついた心境を垣間見るようで、何かしら感慨めいたものを覚えずにはいられませんでした。
生きた時代も考え方も全く違う二人の天才が、自らの死を間近に控え、奇しくも同じような「透明感」を感じさせる作品を残していたこと。
恐らくは単なる偶然に過ぎないのでしょうが、ただ何故か私のなかでは、この二人の作品に共通する何かがあることを感じずにはいられません。