行政書士開業 徒然日記

57歳で行政書士開業を決意した男のブログです

三島由紀夫の『仮面の告白』

よく、「処女作にはその作家のすべてがある」と言われることがありますが、三島由紀夫の場合もその例外ではないような気がします。

 

三島由紀夫の実質的な処女作である『仮面の告白

 

この一作だけで、三島由紀夫が紛いのない「天才」であることを証明するのに十分であり、同時にこの作品が、三島文学のみならず、戦後の日本文学を代表する作品の一つであることに異存を持つ人は、まずいないと言ってもいいのではないでしょうか。

 

三島由紀夫の文学の持つ魅力。

 

それは、読む者を虜にせずにはおかない鮮やかで豊富なイメージに満ちた「言葉」を通して、魅惑的な物語の世界へと我々を引き込み、しばしの間、魂の開放にも似た愉悦を味わわせてくれるところにある。

 

私はそんな風に思っています。

 

小説を読むということは、多かれ少なかれ作者の書いた「言葉」を信ずるという行為に他ならないのですが、三島由紀夫の作品においては、何故かくも蠱惑的で、しかもまったく過不足のない的確な言葉が次から次へと生まれてくるのか、思わず感嘆の念を覚えずにはいられなくなる。

 

この『仮面の告白』には、そんな三島文学の魅力がふんだんに詰まっていて、しかもそこには、まるでグレン・グールドの弾くバッハのピアノ曲を聴いているときに感じられるような何とも言えない瑞々しい抒情がある。

 

世間知のみに長けた凡百の大人達の与り知らない言葉の世界を渉猟しながら、知的で若々しい感性に支えられた青春の詩。

 

このような作品を、二十四歳という若さで書き得た三島由紀夫のような人を、「天才」と呼ばずして他にどう呼べばいいのか、私にはわかりません。

 

仮面の告白』を読み終えたあと、私が真っ先に思ったのは、三島由紀夫という人は正真正銘「言葉の人」、つまりは「詩人」だということでした。

 

自身の中にこれほどの言葉の世界を獲得し得た人が、己の言葉の持つ力を自覚しないはずがない。

 

後年の三島由紀夫は、剣道やボディビルで肉体を鍛えたり、「盾の会」の活動などを通して、一見「行動の世界」に身を移した人であるかのように見える。

 

けれども、三島由紀夫の本質は、決して彼自身の表面的な行動の中にあるのではなく、彼が溢れんばかりの才能を傾けて生み出した言葉の世界の中にこそある、私はそう信じています。

 

逆説的に言えば、「戦後の日本」という、ある意味では日本であって日本ではないような社会において、三島由紀夫は、自身の言葉の世界を信じそれを守り抜くために、敢えて行動的にならざるを得なかったのだと言えるのかも知れません。

 

もしそうだとすれば、それを天才であったが故の三島由紀夫の「不幸」と呼ぶべきなのかどうか、それは私にはよくわかりません。

 

↓ランキングに参加しています。