行政書士開業 徒然日記

57歳で行政書士開業を決意した男のブログです

吉田秀和から学んだこと

九十歳を過ぎて、尚筆を執り続けた、日本を代表する音楽評論家の吉田秀和

 

私は学生時代、その著作を通して、音楽や演奏家のことだけでなく、絵画やヨーロッパの文化に関することなど、本当にたくさんのことを学びました。

 

また毎週日曜日の朝、吉田秀和が解説を務めていたNHKのラジオ番組を聴くことは、学生時代の私の欠かせない楽しみの一つでもありました。

 

確かその当時で既に七十歳を過ぎていた吉田秀和が、それから随分経った後もまだ放送を続けていたことに、私は驚かされた記憶があります。

 

その当時から考える、私が吉田秀和から学んだ一番のこと。それは、「理想的な大人の姿」とでも言えるようなものでした。

 

「大人」としてものを考え発言するということが、どういうことであるのか。その「お手本」とも言える姿を、私は吉田秀和の著作の中に見出していました。

 

「大人」と「子供」の違い。それは、まず第一義的に言って、「自他の区別」がきちんとできているかどうかにある。

 

簡単に言えば、自分の好き嫌いだけで物事を判断したり発言しない態度。自分の好みは好みとして明確に持ちつつも、それとはまったく違った感じ方や考え方があるということを、十分に尊重したうえで自分の意見を表明できる態度。

 

そのような態度を意識的にしっかりと維持できるということが、まずは「大人」としての第一条件ではないかと私は思っています。

 

自分の好みを決して他人に押し付けないこと。自分自身を振り返ってみればわかることかも知れませんが、それは簡単なようでいて案外難しい。一見社会生活ではそういうことができている人でも、家庭生活ではつい自分の好みを押し付けてしまっているようなことが、意外と少なくないのではないでしょうか。

 

たとえ自分の妻や子供であっても、自分とは全然別の感覚を持った存在であることを当たり前の事として関係を築くこと。そのうえでもし、そのことについてどこかしら不満を感じるのであれば、それは自身がまだ大人として十分に成熟できていない証拠かも知れません。

 

「大人である」ということ、あるいは「大人として生きる」ということは、ある意味孤独で寂しいことなのだと思います。

 

私は、吉田秀和から離れて、「大人」についての勝手な意見を述べているように思われるかも知れません。けれども、今現在の私が、大人としての第一条件についてこのように考えるに至っているのも、まさに学生時代に読んだ吉田秀和の著作に端を発していて、更にその後TVのインタビューやラジオ番組などを通して触れた吉田秀和の姿から教えられたことであるのは、間違いのないことです。

 

幅広い教養とバランスの取れた感性で日本の音楽評論の分野に確かな足跡を残した吉田秀和。「天才」や「偉大な思想家」と呼ぶべき人は、他にもっとたくさんいることでしょう。けれども、もし「あなたの理想とする大人の名前を一人だけ挙げなさい」と言われれば、私は迷わず「吉田秀和」の名前を挙げるに違いありません。