ここ数日ずっと雨だったのが、今日は朝からいいお天気です。日差しが「夏」を思わせます。
さて、しばらくブログをさぼっていたのですが、今日は久々に書いてみたいと思います。
不幸のなかの「幸福」
なんか変なタイトルを付けてみましたが、そういうことって確かにある、と最近よく考えます。
例えば、重い病気になる。これは大変「不幸」なことかも知れません。
けれども、その病気になったおかげで、これまで関係の無かったたくさんの人達が自分のお世話をしてくれるようになる。
自分の家族はもちろん、お医者さんや看護師さん、さらには福祉関係の方や役所の方たちなど、本当にたくさんの人達が「自分」という一人の人間を生かすために関わってくれる。
もちろん、家族をのぞけば、仕事だからという理由が大半かも知れません。しかし、そうであったとしても、その人たちが人生の掛けがえのない時間を自分との関わりのなかで過ごしてくれていることに違いはありません。
それはやはりありがたいことであり、ある意味では「幸福なこと」と言えるのではないでしょうか。
そういうなかから、健康な時には見えていなかったものが見えてくることだってあるかも知れません。
健康のありがたみ、人への感謝の気持ち。何か一つでもこれまで感じていなかった新たな意味を自分の病気を通して発見できれば、それはその人にとっての貴重な経験であると私は思うのです。
そうなれば、病気という「不幸」のもたらす意味も全然違ってくる。病気というものを通して自分の人生の新たな価値を発見する、と言いかえてもいいのかも知れません。
よく巷では「ピンチはチャンス」などと言われたりしますが、そういうものとも少しニュアンスの違う、何か昔から人間が培ってきた「知恵」とでも呼べるようなものが、そこには潜んでいるような気がします。
不幸のなかに「幸福」を見出す力。
人間には確かにそういう能力がある、と私は思うのですが。