「信ずることと考えること」と題した講演のなかで、「考える」という言葉の意味について、本居宣長の説を引きながら、小林秀雄が面白いことを言っています。
「考える」とは、古くは「かむかふ」であり、宣長によると「か」に特別な意味はなく、「むかふ」である。「む」は「身」であり、「かふ」は「交わる」、つまり、考えるということは、自分が「身をもって」相手と「交わる」ということである。
だから、宣長のいう「考える」とは、「付き合う」ということであり、何か対象を離して観察するということではない。
そう説明した後に、小林秀雄は学生に向かって次のような言葉を発します。
「考えるってことは、対象とあたしとが、ある親密な関係に入り込むってことなんです。」
その肉声が、私には実に美しく響いてきます。
さらに小林秀雄は、「考える」という言葉を巡って様々な説明を試みます。
曰く「人間を考える時、人間の精神というものを考えなければならない。精神を考える時、どうしても科学の方法ではできない。その人と交わるしかない。つまり、その人の身になってみるということです。だから、考えるためには非常に大きな想像力が必要になる。」
曰く「一口に科学というけれども科学を発明をした人とか発見をした人はみんな、長い時間をかけて、対象と付き合ってきたんです。」
などなど。
ほとんど引用ばかりになってしまいましたが、小林秀雄が「考える」という言葉について語るこのくだり、私は本当に好きで何度聞いても聞き飽きるということがありません。